エッテイラ(本名ジャン・バティスト・アリエット)は、タロット占いの啓蒙の先駆者として知られる占い師です。エッテイラと彼の作品に関する多くの研究が日本でも行われてきました。
この記事では、エッテイラについてわかりやすく簡潔にまとめました。
エッテイラのファンにとって、その人物や業績に新たな視点を提供します。また、エッテイラとタロットについての事前知識のない読者でも、この記事を読むことでエッテイラとタロットについて理解できるようになります。
エッテイラ その正体!?
エッテイラの人物像を探ってみましょう。
エッテイラの占いの史的功績
エッテイラに関する解説サイトや書籍で共通して指摘されているのは、彼が一般の人々にカード占いを広めた先駆者であることです。
エッテイラが活躍した時代、17世紀から18世紀のカードについて言えば、トランプとタロットはまだ完全に分かれていなかった時期でした。一部、分離の兆候が見られましたが、タロットの中でもマルセイユ版系が広まっていました。ただし、これは占い専用だけでなく、賭博や娯楽の一般的なゲームとしても使用されていました。カードを占いに利用していたのは、主にロマ族のジプシーでした。
一般の市民が占いによって財産を築いたことも、エッテイラの名前を広める一因でした。今では有名な占い師が巨額の税金を納めることは珍しくありませんが、エッテイラの時代においては、占い師が占いで大金を稼ぐことは一般的ではありませんでした。エッテイラが平凡な市民が占いで富を築くことを実証したのは、その功績の一つです。
近代以後で平凡な市民が占いで大きな資産を築けることを実証した最初の人がエッテイラです。
エッテイラは、現代の日本のタロット占い師にとっては当たり前の要素を明確にしました。この詳細については後述します。
エッテイラと時代背景
エッテイラの生誕
エッテイラは1738年に生まれました。
彼の母親の実家は穀物商で、父親は料理人だったと言われています。ただし、彼の両親に関する詳細な情報は不明確で、父親が自分の店を持っていたとする説と、雇われていた説が存在します。母親の実家についても、個人の商店だったとする説と、中堅の大店を経営していたとする説があります。
エッテイラ自身は、占い以外にも様々な職業を経験しました。代数学の教師、教会の講師助手、母親の実家の商家の手伝い、理髪師、かつら製造メーカーなど、多岐にわたりました。
エッテイラの時代
エッテイラが活躍した中心地はパリでした。当時のパリは一般市民の兵役、フランス革命、ナポレオンの遠征と失脚など、非常に動乱した時代でした。不安定な時代背景から、占いに頼る市民が多かったと考えられます。
ナポレオンのエジプト遠征によって発見されたロゼッタストーンは、エジプトに関する情報を解読する鍵となるものであり、フランスでエジプトに対する興味が高まりました。このロゼッタストーンの存在から、エジプトに関する熱狂が起こり、エジプトに関連したさまざまな事象や商品が流行しました。この時代はネットが存在しなかったため、口コミや紙媒体を通じて情報が広まり、エジプトブームが広がりました。
エッテイラはこのエジプトブームの時代に、パリのホテルの一角で「エジプト風タロットカード占い」を行っていました。エジプトをテーマにした占いは当時非常に人気があり、エッテイラはその流行に乗って占い師として成功を収めました。多くの人々がエジプトに関する興味を持っており、エッテイラの占いがその需要に応える形となったのです。
エッテイラと同時代に活躍し、エジプトブームに乗ったカード占い師として知られるのがルノルマン女史です。彼女もエッテイラと同様に、時代のトレンドに合わせた占いを行い、その人気が高まりました。エジプト風の要素やテーマが占いに取り入れられ、それが一層人々の関心を引きました。
このように、エジプトブームの時代には占いやエジプトに関連した事象が注目され、占い師たちはその流行に乗って成功を収めました。エッテイラとルノルマン女史はその代表的な例であり、彼らの占いは当時の社会的背景と結びついていたことが伝えられています。
ジェブランの書に薫陶
エッテイラはプロテスタント教会の元牧師であり、フリーメーソンのメンバーでした。彼はジェブランの書「The Primeval World, Analyzed and Compared to the Modern World」の第8章「THE GAME OF TAROTS」に触れ、これが彼のタロットへの興味と知識を深めるきっかけとなりました。
当時、マルセーユ版のタロットが一般的に流行していましたが、エッテイラは独自の占い専用カードを設計しようと決意しました。彼は独自のアプローチでタロットを再構築し、エッテイラ版タロットとして知られるカードセットを制作し、発表しました。これはタロット史上で非常に重要な作品とされています。
エッテイラ版タロットは、カードの構成や意味に独自のアイデアを取り入れ、彼自身の占い哲学や信念に基づいてデザインされました。この新しいタロットセットは後に多くの占い師や愛好者によって採用され、独自のタロットトラディションとして発展しました。エッテイラ版タロットは、タロットカードの歴史において重要な位置を占め、その影響は現代のタロット占いにも続いています。
エッテイラロットの功績
エッテイラのタロット 知られざる功績
エッテイラのタロットについて話すとき、しばしばその独自の解釈や構成に注目されがちですが、彼のタロット設計にはさらに重要な功績があります。それは、今日のタロット占いにおいて当たり前とされている基本的な原則を明確にしたことです。
エッテイラはタロットの設計において以下の点を明確にしました:
- カードのシャッフル前の並び順を明確にした: エッテイラは特定のカード配置を提案し、カードがどの順番でデッキに並べられているかが占いの結果に影響を与えると明確に示しました。
- カードスプレッド時の配置場所の意味を明確にした: カードスプレッドの各位置には特定の意味があることを示し、カードの配置が質問に対する回答にどのように関連しているかを説明しました。
- カード一枚一枚の意味を明確にした: エッテイラは各カードの意味や象徴を詳細に説明し、どのカードがどの状況や質問に適しているかを示しました。
- コンビネーションの解釈を明確に示した: 複数のカードが組み合わさった場合、その組み合わせに対する解釈を提供し、カード同士の相互作用を明確にしました。
- カードの正位置逆位置の解釈を明確にした: エッテイラはカードが正位置か逆位置かによって異なる意味を持つことを強調し、逆位置のカードがどのように解釈されるべきかを説明しました。
- 占星術や数秘術とカードの関連を明確にした: タロットと占星術、数秘術との関連性を明確にし、これらの異なる占いシステムとの統合を提案しました。
エッテイラはこれらの要素を通じて、誰でも占いができるようにするためにタロットの解釈を体系化し、明確にしました。これにより、オカルトの知識がない一般の人々もタロットを学びやすくなり、タロット占いがより広く受け入れられるようになりました。その功績は現代のタロット占いにおいても影響を与え続けています。
エッテイラはこれらのカード設計によって何を成したかったのか?
エッテイラの時代におけるタロット占いの文脈を理解するために、ロマ族の民と彼らの占いについての背景を考えることが重要です。当時、ロマ族は多くの異なる文化や国々を旅し、彼らの占い術は口伝えや家族内で代々受け継がれることが一般的でした。
ロマ族の占いは、特別なインスピレーションや霊感に基づいており、特定のカードの意味や配置に頼る必要はありませんでした。彼らは直感や洞察力に頼り、質問者のエネルギーや状況に対する感知能力が高かったと言われています。このような占いは一種のスピリチュアルな能力として捉えられ、カードの意味や配置についての明確な指針は必要ありませんでした。
エッテイラはこの伝統的な占い方法とタロット占いを結びつけ、一般の人々がタロットを理解し、使えるようにするために、カードの意味や配置に明確な意味を持たせました。彼の功績は、タロットをより広範でアクセス可能な占術に変え、一般市民がタロット占いを行えるようにすることでした。彼はタロットを洗練させ、体系化し、一般の人々に使いやすくしましたが、その背後にはロマ族の占いの伝統やスピリチュアルな要素が影響を与えたことも考慮すべきです。
エッテイラが自身のタロットを一般の人にもアクセス可能なものにし、霊感やオカルトの知識がない人でも利用できるように設計したことは、彼のタロットがその時代において非常に大きな影響を持った理由の一つです。
エッテイラが聖書の逸話を大アルカナに盛り込んだことは、当時のフランス社会においてキリスト教の影響が非常に強かったため、一般の人々に受け入れられやすい要素を取り入れたことを示しています。聖書のストーリーやキリスト教のシンボリズムは、多くの人々にとってなじみ深く、信じられていたものであり、それをタロットのカードに組み込むことで、カードの意味を理解しやすくしました。
エジプト神話に基づくタロットも魅力的ではありますが、エッテイラが当時の文化と宗教環境に合ったカードを設計したことで、タロット占いが広く受け入れられ、バズる要因となりました。その結果、エジプトブームという文化現象が起こり、エジプトに関連するさまざまな事柄が流行しました。
エッテイラのカード設計の意図とその背後にある文化的背景を理解することで、彼のタロットがなぜ成功し、広まったのかがより明確になります。
エッテイラがタロットの起源に関して旧約聖書の創世記の神話の時代に編纂されたものとの説を発表したことは、彼の独自の視点とアプローチを示すものです。しかし、これは真剣な学術的な主張ではなく、おそらく彼の独自の創造的なアイデアや宗教的な視点に基づくものだったと考えられます。
タロットの歴史的な起源は複雑で、多くの研究者が異なる説を持っています。一般的には、タロットは中世のヨーロッパで発展し、占いや遊戯のために使用されるようになったと考えられています。その起源についての具体的な証拠は不明確であり、さまざまな説が存在します。エジプト神話やヘブライ文字に由来するという説も含まれていますが、学者の間でも意見が分かれています。
エッテイラの説は、彼自身の宗教的な信念や創造的なアプローチに基づいており、学術的な厳密さや歴史的な根拠には欠ける可能性が高いです。タロットの歴史に関する研究は続けられており、新たな発見や洞察が常に進行中ですが、タロットの正確な起源についての完全な合意はまだ得られていないことを理解する必要があります。
エッテイラにまつわる生年没年の都市伝説
エッテイラは生前から人気占い師であり、今も彼の設計したカードのファンは世界中にいます。そのようなカリス的な有名占い師ですから、怪しい都市伝説ものこっています。
生まれ年の異説
エッテイラの生年についての正確な記録がないため、彼の生年についての複数の異なる説が存在していることは理解されています。1738年説と1750年説の両方が存在し、どちらが正しいかは歴史的な文書や公式の記録に基づいて確定されていないため、確証はありません。
歴史的な人物については、生年や生涯に関する情報が時に曖昧であったり、複数の異なる記録が存在したりすることがあります。エッテイラの生年についての異説が存在する場合、それに対する新たな証拠が発見されるまで、どちらが正しいかは不確かなままでしょう。
没年の謎
エッテイラの没年についても複数の異なる説が存在し、どちらが正しいかは明確には確定されていません。一般的には1791年がエッテイラの没年とされていますが、1810年説も存在します。このような異なる説の出典や証拠が確立されていない限り、エッテイラの没年についての確定的な情報は得られないでしょう。
歴史的な人物についての生涯に関する情報は、時に曖昧であることがあり、特に過去の出来事や人物に関する詳細な記録が不足している場合、異なる説が存在することが一般的です。したがって、エッテイラの没年についての確定的な情報を見つけることは難しいかもしれません。
エッテイラにまつわる日本の都市伝説
エッテイラに関するトンデモな都市伝説や誤訳、珍妙訳、そして性別に関する誤った情報が存在することは、オカルトや占いの分野ではよく見られることです。特に昔の情報は口コミや書物を通じて広まり、正確性が確認しにくいことがあります。また、情報の変化や誤訳が広まることも少なくありません。
エッテイラの性別に関して男性と記載されたものと、女性と記載されたものが存在しました。
どこかで、誤訳されたものが拡散されただけかと思いますが、性別までまことしやかに語られるエッテイラは、やっぱりすごいですね。
エッテイラに関するトンデモ説でもう一つ、ルノルマン女史と同一人物説や、ルノルマン女史のトッペルゲンガー説まで、昭和の某和製オカルト紙に寄稿した人までいたという噂がながれました。今と違って、ネットのない時代、噂の伝播経路は割と限られています。ファンを焚きつけて、雑誌を売ろうとした際物出版社がエージェントに金を渡して作った噂だったのかもしれません。実際、私はその記事を見たことがありません。
エッテイラのタロットに関して、日本独特の重大な特徴があります。それは、解説本や解説サイトの超誤訳、珍妙訳が非常に多いことです。機械翻訳をそのまま掲載していると思われるものが乱発されています。
エッテイラ版カードの簡略系統
エッテイラのタロットは、昭和の日本ではグリモウ社の復刻版しか知られていませんでした。平成のネット時代に入り、いろいろな情報が原文のまま簡単に目に触れることができるようになり、エッテイラのタロットは実は多くの版や亜種があることが日本のタロットファンにも知られることとなりました。
エッテイラ純正版
エッテイラ自身が設計製作にかかわっていたタロットが、グランドエッテイラカードとプティエッテイラカードです。日本では、エッテイラのタロットの初版として紹介されています。
グランドエッテイラカードとプティエッテイラカードは、そのカード構成が全く異なります。グランドエッテイラカードは78枚のタロットです。対してプティエッテイラカードは32枚の占いカードで、ルノルマン女史のルノルマンカードに似ています。
エッテイラ版の系統
エッテイラ版タロットとよばれるものは多数あります。しかし、そのことが、日本に浸透したのは、実は昭和の終わりから平成にかけての時期なのです。純正以外にどのようなものが、あるのか、簡単にまとめてみます。
グランドエッテイラエジプシャンタロット
エッテイラのタロットでグリモウ社復刻版といわれる、「グランドエッテイラエジプシャンタロット」。
日本で最も普及したエッテイラ版タロットです。日本のタロットオールドファンにとっては、エッテイラ版タロットといえばこのタロットと同義語です。そもそも、昭和の日本ではエッテイラのタロットがいろいろな版があるということが知られていませんでした。その影響で、エッテイラ版タロットの解説という類の日本の書籍やサイトにはこの「グランドエッテイラエジプシャンタロット」が前提になっているものがほとんどです。
グランドエッテイラエジプシャンタロットのグリモウ社による復刻時の特徴を、並べてみます。
- カードのサイズは初版のグランエッテイラカードとほぼ同じ
- 初版のような専用解説書はなく、ブックレットを添付
- カードの上下左右に意味を印字
- 小アルカナの数札を上下双頭にした
グリモウ社は初版の特徴を生かしての復刻版を作ってくれたわけです。
純正グランドエッテイラ
エッテイラが手掛けた初版のタロットはタロットエジプシャンと名付けられました。同じカードの重版がグランドエッテイラカードです。
デザインはグリモウ社の復刻版が似ているのですが、絵のタッチは昔の色なしマルセーユ版に似ています。
このタロットの復刻版、つまり初版の復刻版は先に紹介したグリモウ社復刻版の「グランドエッテイラエジプシャンタロット」と違って(この記事を書いている時点では)絶版となってしまいました。
エッテイラの後継版
エッテイラの没後、エッテイラの弟子やファンから、エッテイラ版の後継ともいうべきタロットが発行されています。
エッテイラ版の後継で知名度の高いカードが、「ブック・オブ・トート・エッテイラ・タロット」です。
日本では一時期、エッテイラの初版の復刻と勘違いされたファンもいたのですが、こちらは、1870年にエッテイラのファンが作成したタロットです。
日本でエッテイラの初版の復刻と勘違いされたカードがもう1デッキ存在します。「タロット・エジプシャン」のタイトルで、1875年に発表されたものです。このカードもオリジナルは3000セット限定版として発行されました。(2999セットの説もある)。オリジナルの一部はパリ国立図書館に現存します。